2010年3月、虹の橋へと旅立ったビーグル犬『ケン』のお話し
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2010年3月2日(火)最後の戦い
2011年03月02日 (水) | 編集 |
これは、ケンの最後の闘いの記録です。

先の事はまだ考えたくない、つらい過去を思い出したくないという方はパスして下さいね。

また、コメント欄はしばらく閉じさせて頂きます。



今回は、翌3日の早朝までの記録です。かなりの長文になっています。




2010年3月2日(火)



この日の日中も、ケンは特に変わった様子もなく過ごしていた。



夜、入浴中に私はふっと思った。

“私だけ、ケンに何もしてあげていない”

父は何度も病院へ通い、母は何ならケンが食べるかと毎日挑戦してる。

祖母は自分の手足も不自由な中、昼夜、ケンを看ている。


私は? 何もしていないじゃないか。



私に出来ることは何だろう・・・ 考えながらお風呂から上がると、いつも祖母の部屋で
横になっていたケンが、ケージ(柵は取ってるので土台だけ)ごと居間にいた。

「どうしたの?」と聞くと、「ケンの手足がすごく冷たいの」と母。

触ると確かに氷のように冷たい。

それから、しばらくの間、私はケンの手足をさすり続けた。

途中、少しお水をあげたり、話しかけたり。 ・・・ねぇ、ねねの話分かる?


こんなに簡単なことなんだよね。

気負って「何かをしてあげよう」ではなくて、ただ、そばにいてあげる。

それでいいんだよね。

明日からは、出来るだけずっとそばにいよう。





22時30分。 寝る前のシッコの時間。

寒い外に出していいのか迷ったけれど、ケンは絶対に家の中でシッコをしない。

厚手の服を着せて父と外へ。


玄関先で、ケンはじっと一点を見つめていた。

私達の目には特に気になるものなんてないんだけれど。


しばらくすると、ケンは立っていられなくなり道路に座り込む。 急いで家の中へ戻った。



ケージを祖母の部屋に戻す間、私はケンを抱いていた。

あんなに重たかったケンが、嘘のように軽い。

胸が痛かった。





就寝のため自分の部屋に戻ると、会社の上司から電話。

翌日の朝一で必要な資料を準備してほしいとのことだった。


電話を切り、横になる。少しの間考え事をしていた。






11時13分。 祖母からの電話。

嫌な予感。

電話に出ると、「ケンの様子がおかしい」と切羽詰まった祖母の声。

急いで祖母の部屋へ行く。



そこで見たのは、今まで見たことのないケンの様子だった。

まるで伸びをしているかのように四肢を突っ張らせ、目は大きく見開いている。

口はこれ以上ないほど大きく開けているが、そこから聞こえるのは
10秒に1回くらいの「ヒュー」という呼吸音だけ。 必死に息をしている音だった。


すぐに父と母を呼ぶ。



次第に、ケンの身体は激しく痙攣を始めた。

みんな口々にケンの名前を呼び、必死に体中をさする。



ケン、頑張れ!頑張れ!


涙が止まらない。



この時何が起きたのか、たぶん誰も理解出来ていなかったと思う。


気が付くと、ケンの呼吸はだいぶ落ち着いていた。

痙攣はまだ小刻みに続いているけど、発作はだいぶ治まった様子。

その後もしばらくケンの身体をさすっていた。



そして・・・


ケンは、私達一人一人を順番にじっと見つめた。

それは、家族の顔を自分の心に残そうとしているようであり、
最後のお別れをしているようでもあった。

そんなことあるわけないって思うかもしれないけど、でも本当の話なんだ。





落ち着いてからも、ケンは寝ようとしなかった。

いつもならすぐに寝るのに、ずっと目を開けたまま。

時々、目がウトウトとするんだけど、でも、ビクッとしてすぐに起きてしまう。


まるで、 “眠ってしまったらもう目覚ることが出来なくなってしまう” とでも思っているかのよう。






その日は、そのまま全員が祖母の部屋で過ごすことにした。

交代で寝ようという話もあったけれど、私は「寝ない」って決めた。

ケンが眠れないのに、私だけ眠るわけにはいかないよ。





3時30分頃。

ケンが身体を起こし、部屋の出入口の方をじっと見ている。

「どうしたの?喉が渇いた?」そう言って母がシリンジを取ろうとした時だった。


突然、ケンは お座りの姿勢のままバタンッと横に倒れ込んだ。



二度目の発作。

口を大きく開けているものの、全く息をしていない。

ケンの必死の形相に、思わず母は自らの口をケンの口元に近づけ、人工呼吸を行った。

私達はケンの名前を叫びながら身体中をさする。



 ・・・なんでケンがこんな目に遭わなくちゃいけないの?


 ・・・ケンが何をしたっていうの?


 ・・・私が変わってあげるのに!


 ・・・神様、どうかケンをこれ以上苦しめないで!




どれだけ経っただろうか。

発作はかなり治まったようだ。



だが、一度目の発作からほんの数時間。

ケンはどれだけ苦しいことだろう・・・。



母が泣き叫ぶように言う。

「もうこれ以上、ケンを苦しめられないよ。ケンが可哀相だよ。お父さん、先生に連絡してよ」

それはつまり、安楽死をお願いするということ。

先日話をした時には絶対に無い選択だと思っていたけれど、
この時は私自身も分からなくなっていた。


ケンは必死に闘っている。生きよう、生きようと頑張っている。

でも、もしかしたら「苦しいよ、もう嫌だよ」って言っているのかもしれない。

ねぇ、ケン。 ケンはどうしてほしい?



結局、父は電話をしなかった。多分、父なりの考えがあってのこと。




その代わり、みんなで話し合って決めたことがある。

今度、もしケンが苦しんだ時は、無理に呼び止めずに送ってやろう・・・と。


本当はそんな選択したくなかった。

少しでも長くケンには生きていて欲しい。

でも、これ以上私達がケンを苦しめるわけにはいかない・・・そう思ったんだ。





結局 この日、ケンは一睡もしなかった。





  退院直後  
        退院直後のケンを祖母が撮影






安楽死という選択は賛否両論あると思います。

私は、未だどちらの選択が良かったのか分かりません。

でも、きっとケンは最後まで生きようと頑張ったんだと思います。

だから最後まで看取るという結論を出したことについて、後悔はありません。



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