2010年3月、虹の橋へと旅立ったビーグル犬『ケン』のお話し
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2010年3月4日(木)最後の別れ
2011年03月04日 (金) | 編集 |
これは、ケンの最後の闘いの記録です。

先の事はまだ考えたくない、つらい過去を思い出したくないという方はパスして下さいね。

また、コメント欄はしばらく閉じさせて頂きます。 






2010年3月4日(木)




この日は両親も私も会社を休んだ。

食べたくもない朝ご飯を、無理やり口に流し込む。

母は、いつも祖母のココアに入れているはずのシナモンを、私のコーヒーに入れた。

気丈に振舞っているけど、やっぱり普通じゃなかったみたい。




火葬の時間に合わせ、今日も叔父と叔母が来てくれた。

すぐ隣町と言えど、何度も顔を出してくれて本当に有難い。




火葬業者は約束の時間ピッタリに来た。

火葬の流れについて説明を受け、ケンの大きさと体重を計る。

この時のケンの体重は、11.2kg。

元気だった頃は17~18kgもあったのに、いつの間にこんなに減ってしまったんだろう・・・。



準備が整い、とうとうお別れの時が来た。

ケンを火葬車まで運ぶ。 車は家の前につけてある。



棺の中に、大好きだったぬいぐるみや お花、そしていつも着ていた洋服を一緒に
入れてあげようと思ったけど、お骨に色が付いてしまうからと断られた。

残念だけど、しょうがないね・・・。



車の中には簡単な祭壇のようなものもあり、順番にそこで焼香を済ませた。



 ・・・ねぇ、ケン、本当に起きなくていいの?


 ・・・目を覚ますなら今のうちだよ・・・。



全員が焼香を済ませると、業者の人の声で、最後にもう一度全員がお参りをする。



そして、車の扉が閉められた。



車を家のすぐ隣の駐車場に移動する。

少し離れた土地に運んで火葬することも出来ると言われたけど、出来るだけそばにいたい。




移動火葬車は、無煙・無臭だけど、炉の音は大きい。

じっと聞いているには、切なすぎる音。


火葬が終わるまで2~3時間かかると言われ、一旦家の中に戻った。




私達は、家中のあらゆる所にある、ケンのものを集めた。

なぜか・・・ それは処分するため。

形見として残しておけば良かったんだけど、その時の私達はやっぱり精神的に
普通じゃなかったんだね。


あとで思い出すとツライから・・・

もう本当にそれしか頭になくて、家の中から次々にケンのものが消えていった。





火葬が終わり、状態の確認をお願いされた。

「無理にとは言いませんから」って言ってくれたけど、私は最後まで見届けたかった。


父と私で確認をする。


横になったままの姿の骨。

たぶん、そこが病巣だったのだろうか・・・一部が緑色に変色していた。


でも、どんな姿であろうと、愛おしいケンには変わりないよ。


不思議と涙は出なかった。

私の心の許容量を超えてしまったみたい。




業者の人は私達にきちんとした形でケンを返すため、一旦会社へ戻った。



その間に、両親と私はお世話になった病院へ、報告を兼ねてお礼に行った。



実は、昨日何度も先生の所に電話していた。

でも、先生が電話に出てくれたのは朝の1回だけ。

病院も休診日だったけれど、たぶん先生は、最後まで私達家族のそばにケンを置いて
いてあげようとしてたんだ。




先生に、昨日の夕方ケンが息を引き取ったことを報告した。

先生は「気付いてやるのが遅くて、助けてあげることが出来なくて大変申し訳なかった」と
頭を下げて下さった。


そして、ここでもまた新しい事実が発覚した。

ケンのリンパ腫は、脇と喉だけではなくて、肺にも転移していたらしい。

そっか。 そんなに病気は進行してたんだね。


最後は心不全だったけれど、こんなにもたくさんの病気を抱えてケンは頑張ってたんだ。





夕方、業者の人がケンのお骨を持って来た。

お位牌も用意してくれた。


うちは、粉骨にしてもらっていたから骨壷は本当に小さい。


 ・・・ケン、小さくなっちゃったね。

 ・・・でも、やっぱりどんな姿でもケンがいてくれると落ち着くんだ。



準備していた祭壇に骨壷を乗せ、残しておいたおやつや写真を並べる。




向かいのおばあちゃん(祖母の妹)が、「ケンちゃんがね、いつもユリの花の所に行くと
匂いを嗅いでいてね」そう言いながらユリの花の入った花束を持ってきてくれた。

「これはね、夏になるといつもケンちゃんと姉さんがキュウリを半分こして食べてたから」と
キュウリも2本。


祖母も知っている共通の友人からは、お線香をいただいた。



叔父と叔母もまた顔を出してくれた。

昨日から4回目だよ。 忙しい中を、本当にありがとう。





もっと家の中が暗くなるんじゃないかって思ってた。

けれど、そうでもなかった。

たぶんね、家族の誰もが「暗くならないように」って気を使って明るくしてたんだと思う。


実際、私は「私が泣いてばかりいたら、祖母や母がつらくなる。私が明るくしなきゃ。」って
思ってた。

だから泣くのはお風呂の時間だけ。 誰にも見られないからね。





明日からは、ケンのいない毎日が始まる。

でも、触れることはできなくても、存在はそばに感じることは出来るから。


自分で自分に言い聞かせるように、心の中で思いながら眠りに就いた。




         3月4日




これで、ケンの闘病の記録は終わります。

長く、分かりにくい文章で読みにくかったと思いますが、今まで有難うございました。


次回は、近況についてお話できればと思っていますので、もう1回だけお付き合い下さいね。


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